2020年に始まり、短期間で世界中に感染が広がってしまった新型コロナウイルス(COVID-19)感染症。。。
日本国内も例外ではなく、感染者数も死者数もじわじわ増えていきました。
海外のように「都市を封鎖する」という手段を持たない日本は「自粛の要請」を取らざるを得ませんでした。
曖昧な対策とも取れる「自粛の要請」によって、国民には不安とともに「自粛疲れ」という状況が広がったと聞きます。
感染症以外でも「自粛を求められる場面」があります。
この記事では
- 自粛ってなんだ?
- なぜ自粛疲れが生まれるのか?
- どう対処したらいいのか?
についてまとめました。
もしも、自粛は「我慢をするだけの期間」だと思われていたら、ぜひこの記事をお読みください。
自粛期間はうまく活用できると、新しい人生をスタートさせることが可能になります。
この記事の内容をよく理解するために参考になる記事がありますのでご紹介します。併せてお読みください。
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他にも本文中に参考になる記事や動画をご紹介していますので、参考にされてください。
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ぜひリラックスして本文を読み進めてください。
自粛の意味を確認
まずは「自粛」の意味についておさらいしましょう。
自分から進んで自分の言動を慎むこと。
(weblio辞書)
とあります。
自分の発言や行動を「自ら」慎むのを自粛と言うのですね。
自粛はどんな場面で求められるのでしょう?
自粛が求められる時はどんな時?
自粛は「自ら慎む」ことです。
どんな時に「慎む」ことを求められるのでしょうか?
それは、「場にそぐわない」場合ですね。
ちなみに「慎む」というのは、
- 過ちのないように行動を控えめにする。
- 度が過ぎないようにする。
- かしこまった態度をとる。
という意味があります。
結婚式などのお祝いの席で、悪口などの暴言を吐くとか、お葬式でケラケラ楽しそうに笑うとか、そういうのは一般的に見て場にそぐわない誤った行動です。
そういうのは場にそぐわないから控えましょう、という意味で「自粛」が求められます。
不思議ですよね、「やめなさい」とは言わないのです。
子供に対しては「やめなさい」と注意する場面はあります。
大人に対しては
「そのくらいわかるでしょ?」
というニュアンスが含まれているのでしょうか?
つまり、「空気を読め」ってことですね。
空気を読め、と言われても困ってしまいますよね・・・
自粛するとは具体的にどんなこと?
先ほどの結婚式やお葬式以外の例でいうと、自然災害などによって特定地域で多数の死者が出たり長期かつ甚大な被害が出た時も「自粛」を求められます。
例えば2011年の東日本大震災の場合は、華やかなイベントが自粛の対象となり「開催中止」が増えました。
それはスポーツや音楽のエンターテイメントが対象となっていました。
また、スポーツチームやタレントなどグループ内での不祥事があると「活動を自粛」する場合もあります。
「悪質タックル」で騒ぎになった、某大学のアメフト部もそうでした。
グループで行う活動そのものを停止する形をとっていたことを覚えていらっしゃると思います。(その後、活動再開)
また2020年に新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が世界で拡大し、パンデミックの状態になった時、日本では緊急事態宣言をして「外出の自粛」が求められました。
ウイルス感染の被害を広げないために人間同士の接触を避ける狙いで「家から外に出ないようにしましょう」と政府や感染症専門家は言いました。
「外出を自粛してください」という言い方で。
「禁止」ではないのです。
日本ではこの「自粛」の言葉のように「空気読んで外に出ないようにしようね」という対策が中心でした。
「自粛を要請」とか「自粛を促す」というのは、つまり「空気を読んでね」ということです。
そして、「自粛します」というのは、「空気を読みました」ということなのです。
シチュエーション次第で、自粛で求められる言動は変わります。
自粛が続くと起こる?「自粛疲れ」
この記事をお読みのあなたも経験はあると思いますが、「空気を読む」状態が続くとどうなるでしょう?
非常に疲れますね。
空気を読む作業である「自粛」によって生まれる疲労を「自粛疲れ」と表現されます。
2020年に感染症拡大に対して日本全国的に取り組んだ「外出自粛」がどの程度の効果があったかは専門家に任せます。
見逃せないこととして自粛によるデメリットが、各メディアで取り上げられていました。
「外出せずに自宅でいること」で悲劇が生まれるケースもあるようです。
その例を紹介します。
DV、虐待
例えば未成年の子供が「学校の休校」で、
大人が外出の自粛による「勤務、雇用形態の変化」で、
「自宅に共に過ごす時間が増える」と、
暴力につながるケースもあるようです。
子供や女性が被害者になるケースが多いと言われます。
常に加害者が家にいる状態では、助けを求める電話をしたくてもできない、というケースもあるようです。
国連事務総長からの注意喚起がありましたので、これは世界中で起きているのだと思われます。
人種や文化に関係なく、外出を制限または自粛して、同じ空間で過ごす時間が増えることで暴力や性被害につながるのは悲しいことです。
「自粛」はきっかけに過ぎず、その前の時点で「ギリギリ」の状況を送っていたのだろうとは思いますが、「自粛疲れ」で片付けていいものとは思いません。。。
明るみに出なかっただけで、ギリギリの状態にあったケースは、これまでたくさんあったのでしょう。
ウイルス感染や自然災害などをきっかけにして、そういうケースがあぶり出されるのです。
大きな出来事が起こることで人類の精神性が計られているのだと、私は感じています。
離婚
2011年の東日本大震災の後も「震災離婚」といったケースが見られました。
これは東日本大震災などといった震災が発生したことをきっかけとして夫婦が離婚するということである。震災離婚に至ることとなった要因というのは、主に震災を機に価値観の違いが夫婦関係を維持できないレベルにまで達してしまうことになる。
(wikipedia)
先ほどの例と同様、外出自粛などによって夫婦間のストレスは急増することが原因と考えられるようです。
2020年には「コロナ離婚」というキーワードが生まれていました。
震災にしろ、感染症にしろ、自粛を求められることで、心理的なブレーキを感じ、そのことが人間関係を狂わせて行くのだと思います。
しかし、それらは原因というよりはきっかけに過ぎないのは言うまでもありません。
自粛疲れによって起きる悲劇は、それ以前の状況の方に大きな問題があり、自粛をきっかけに気づかせてくれたり、行動の踏ん切りがついた結果なのかもしれません。
代表的かつ大きなデメリットととして例を紹介しました。
しかし、小さなものはおそらく気づかないうちに行われて、お互いを苦しめていることでしょう。
支配したり、
威圧するような言動、
罵るような暴言、
無視や自分勝手な言動など、
通常だったら制御できていたものが、自粛などによる活動の制限で制御できなくなっているかもしれません。
家族(子供同士などの自分以外)の喧嘩のように、一見自分が関わっていないようなことも、掘り下げて行くと自分が関係していることがあります。
この記事を読まれたら、まずは自分自身を振り返ってみましょう。
もしも、同居者との関係で何か身体的、精神的な異変を感じる場合は、しかるべき相談センターや信頼できる人の助けを借りましょう。
自粛中のストレスマネジメントとコミュニケーション
自粛中はストレスが生まれやすいようですが、いったい何がストレスなのでしょう?
行動の自粛にしろ、発言の自粛にしろ「これまで送ってきた日常と違う」環境を体験します。
例えば、「外出の自粛」であれば、自宅にいるはずのない人が、いるはずのない時間帯に、存在している、という現象が生まれます。
その環境に違和感を感じられる人の特徴は「空気が読める」人です。
例えば、勤務先の会社が在宅勤務を進めてきたり、子供の学校が休校になったりして「自宅にいる」状況になったとします。
いないはずの人がいるという空気感が「読める」人には違和感になりますが、「読めない」人は何も感じません。
これは一種の能力です。
この能力の違いによって、人間関係にトラブルが生じます。
先ほどのDVや虐待といった例の加害者も、なにかしらの違和感を感じ取り、その表現としの暴力でその矛先が家族だったと考えられます。
空気が読めるが故に、ストレスを感じやすいのです(鈍感力なんて言葉もありましたね・・・)。
しかし、「空気を読む」力は強みでもあります。
認識の仕方と使い方さえ間違えなければ、「進化した存在」となって人生を切り開いていけるのです。
そういう内容を詳しく解説しているのがこの動画です。
【コロナの精神汚染から日本の心を取り戻せ】日本人が世界に誇る『強み』とは?
では、自粛中のどんなことがストレスの原因となるのでしょう?
なぜ自粛はストレスになるのか?
外出などの行動の自粛や、発言の自粛により生まれるストレスは、「そこに人がいる」違和感だけが原因ではないでしょう。
おそらく、もっと影響が大きいものとして「情報」の取り扱いや、コミュニケーションによるものが考えられます。
自粛を求められるのは「非日常的な出来事」が起きた時です。
そうなれば状況の変化に関する「情報」を集めようとします。
それ自体は、特に問題のない行為なのですが、受け取る情報の種類やコミュニケーションの相手次第で、情報はストレスの原因にも解決策にもなり得ます。
参考になる記事を紹介します。情報の取り扱いという意味で、とても重要なことが書かれていますので、ぜひご参照ください。
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悪魔の所業!陰謀論と精神汚染と魔女狩りの危険性について
活動自粛による時間の使い方の変化は、そのまま情報の触れ方の変化にもなります。
- テレビを見る時間が増える
- スマホを見る時間が増える
- SNSなどで無責任な情報に触れてしまう
どうしても、そういう時間の使い方になります。
そこで得られた情報そのものがストレスになったり、他者と情報の解釈が異なることもストレスになります。
ストレスコントロールには、
- 情報を受け取る相手
- 情報の出どころ(質)
を調べ、適切な情報が得られるようにすることが重要です。
また、情報の質について吟味し、「情報の遮断」を行うことも有効です。
人によっては「善意で」あなたを苦しめる情報を、提供してくる人もいます。
もしも、そういう人と現実にお付き合いがあるのなら、そのお付き合いを制限することも有効な手段と言えます。
自粛は「分離意識の極み」を生み出す
自粛するとは、自ら慎むわけなので、行動を制限します。
それは、他者との物理的な距離、社会的な距離を作り出します。
その結果、孤独を作り出すことになります。
孤独を強く感じるようですと、
「世界と自分は切り離された存在だ」
という分離意識が強くなってしまいます。
分離意識は「相手をコントロールしたい欲求」や「善悪の二元論」を強めてしまいます。
物事や相手の行動を「良いと悪い」でジャッジして、「良い行動」を求めてしまうのですね。
その結果、不安やストレスの原因になっているのではないでしょうか?
そのジャッジに至った基準は「自分だけのもの」で、それが相手に受け入れられなければ「衝突」しか生みません。
自分も相手もどちらも傷ついてしまいますよね・・・
自粛疲れはバーストラウマと関係している?
自粛が続いても問題なく過ごせる人と、自粛が続くことで精神的に荒れてしまう人の違いはどこにあるでしょう?
その根本には分離意識が関係しているだろうと、先ほど書きました。
その分離意識は、自我の形成に伴い現れてくると言われます。
自我の形成の過程で「自己否定」を感じる人もいると思いますが、この自己否定がバーストラウマによるものという考えがあります。
バーストラウマとは「出生時心的外傷」のことで、出生そのものが心の傷になっているという考え方です。
この考え方でいうと、人は誰もがバーストラウマを持っていることになります。
つまり、誰しもが少なからず自己否定の認識があるというわけですね。
目に映る世界は自分の内面を投影していると言われるので、自己否定が強いほど否定的な(ネガティブな)現実を目にするのではないでしょうか?
自粛疲れの元になるストレスフルな現実は、自分の内面に存在した「分離意識の極み・自己否定」が投影されたものなのかもしれません。
分離の極みを経験した後は目醒めのフェーズ
自粛などのストレスによる分離意識に気づく経験は、言い換えると「自分自身を知るきっかけ」になります。
- 自分自身は、本当はどんな人生が送りたいのか?
- 自分自身はどんな人間になりたいのか?
そういうことに気づくきっかけとも言えるのです。
家族との喧嘩や、離婚などの別れをきっかけに人生が好転する場合だってあるでしょうし、そのように話す人も知っています。
分離のフェーズを体験している真っ只中では、辛く苦しい思いを経験することになります。
しかし、分離の極みのような状況まで経験すると、実は自分は世界とは繋がっていたことに気づくのです。
「自我の存在を受け入れる」とも表現できますね。
目の前に起きることは自分自身の内面にあることだ、と気づけると「世界とは自分自身だ」という感覚になり、分離は乗り越えられます。
統合や、抽象度が上がる、という表現はこのことを指していると私は考えます。
何か大きな出来事を体験した時は、自分自身を振り返るチャンスです。
私もそういう出来事を経験しています。詳しくはこの記事に書きました。参考にされてみてください。
関連記事:
人生のテーマが決まるほどの出来事
自粛をする理由となった出来事も、自粛したことで経験したことも、本来の自分自身に目醒めるためのプログラムとも言えるのです。
自粛の過ごし方を覚醒のプログラムにする
自粛に関する経験が本来の自分に目醒めるプログラムだとして、具体的にどんな行動に落とし込むと良いでしょうか?
先ほども触れたように、自粛に伴う「分離意識の極み」を経験している最中では、苦しさが先に立ちます。
対症療法的にでも、その苦しさをやり過ごさない限りには、「本来の自分への目醒め」のステップに進むのは困難です。
ここでは2段階に分けて「戦術」をお伝えします。
ストレスに対して
世間にはストレスへの対処法は山のようにあります。
人によってストレスと感じる内容が違うので、対処法もそれぞれになってしまいます。
何に対してのストレスでも共通して有効な対処法を紹介します。
1)感情のスケーリング
ストレスを感じている時の代表的な感情と言えば「怒り」でしょうか?
例えば「怒り」にフォーカスしたとします。
「今、自分が感じている怒りは、10を最高値とした時にいくつくらいだろうか?」
と、問いかけてみましょう。
スコア化しようとすれば、どうしても客観視します。
その瞬間、自分自身の感情から離れることができます。
そのスコアを記録しておいても良いですし、覚えておくだけでも構いません。
大切なことは「感情に支配されている自分自身から離れる」ということです。
自分の感情のスケーリングには、自分を知ることがポイントになります。
特に不安や恐れといったネガティブな感情の取り扱い方についてはこちらの記事にまとめられています。
是非お読みください。
関連記事:
不安な気持ちや恐れが持つスピリチュアルな意味と解決方法
2)物理的な距離を取る
もう一つは、極めてシンプルです。
ストレスの対象である、人、物、などから物理的に距離をとってみましょう。
先ほどの対処法と同じく、冷静になれたら自分を客観視できますので、その環境を作るために「逃げる」のです。
仮に「外出の自粛中」だとしても気にしないで外に出ましょう。
「自粛を求められている」中であっても制限されていなければ散歩などに出かけましょう。
誰かに迷惑をかける形でなければ、一時避難はむしろ自分のために有効です。
冒頭でも触れた、暴力が絡むケースなどは慎重に計画を進めると良いかと思います。
目醒めのために
対症療法的に自分を見つめる環境を作ったら、いよいよ実際に「自分と向き合う」作業に入りましょう。
オススメするのは「瞑想」です。
瞑想というと「難しい」とか「大変そう」という印象を持たれるかもしれません。
このサイトの編集長が瞑想についてわかりやすく解説している動画がありますので、是非ご覧ください。
瞑想によって開発される能力とは?【思考は現実化する】
また、こちらの記事でも詳しくまとまっています。
併せて参考にされてください。
行動や発言の自粛が、大きな集団で起きてくる時、「空気が読める人」ほど苦しいと思います。
それは、SNSでうっかり穢れとも言える情報を拾ってしまったり、周囲の同調圧を正面から受け止めてしまうからです。
そうやって精神的に弱っていく結果、暴力に繋がったり病気に繋がったりしてしまいます。
2020年に新型コロナウイルスの感染が世界に広がった時に起きたことを題材に、日本人の精神性を守り、発展させることについて動画で解説されています。
私たちが忘れかけている大事なことを思い出すためにもご覧ください。
【コロナの精神汚染を防止】大和魂を発動させる8つの言霊
自分のペースで生活に瞑想を取り入れていくと、「人生のゴール設定」ができてきます。
それはそのまま「高性能ナビゲーションシステム」になりますので、ぜひ取り組んでみましょう。
自粛を使って新しい人生を計画しよう
行動や発言の自粛とは「強制」ではなく、「自ら慎んでください」という意味です。
自分の意志によって選択したことであれば、さほどストレスを感じないはずです。
「テレビを見ないようにしよう」と決めていたのに見てしまった場合、強いストレスを感じるでしょうか?
自粛と強制を混ぜてしまうから苦しいのではないでしょうか?
実は自粛を自らの意志によって積極的に活用できれば、新しい人生を歩むことも可能になります。
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人生とは何か?スピリチュアル的に言うと魂の修行の過程である
関連記事:
人生の目的、生きる意味を見失った場合のスピリチュアル的処方箋
他者から制限されたものとして、窮屈に過ごせばストレスでしかありません。
自粛が求められる発端となった出来事について詳細に振り返り、これまでの自分自身を内省してみましょう。
それが自分にとってどんな意味を持つ出来事だったのか理解して、自分が執着していたことに目を向けてみましょう。
本来の自分が何を望んでいたのかに気づけるはずです。
行動や発言の自粛は「不快」な経験かもしれません。
しかし、同時に「何が快だったか」に気づけるチャンスでもあるのです。
「真我」と呼ばれる本来の自分からのメッセージは「快感覚」を通して送られると言われます。
その意味で、何が自分にとっての快なのかに気づける自粛は、本来の自分に気づくチャンスでもあるのです。
真我についての解説は編集長の著書「真我の成功法則」をご参照ください。
精神的に制限が強いイメージを持たれる「自粛」ですが、新しい人生を設計するタイミングと捉え、思考と行動を書き換えていきましょう。
この記事のまとめ
自然災害や、感染症や、不祥事など、様々な場面で「自粛」を求められることがあります。
そのほとんどは「強制的な指示」というよりは、「わかってるよね?空気読もうね?」といった内容です。
空気が読める人ほど辛い思いをしてしまいます。
ですが、その一見ストレスでしかない現実も「実は自分自身の内面が作り出していたこと」である場合があります。
自分が認識していなかった潜在的な問題に気づくチャンスなのです。
その問題をクリアできれば、新しい人生を迎え、本来の自分が求めていた人生を過ごすことができるようになります。
自粛の受け止め方次第で、ストレスに苦しむだけの日々か、覚醒した自分で過ごす人生かを選ぶことができます。
「自粛」を自分を見つめ直す時間にして、より良い人生を送っていきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
このブログの内容が役に立った、と感じた方は下のランキングバナーを押していただけるとうれしいです^ー^
本気で人生を変えたいあなたへ
ここまでお読みいただきありがとうございました。
「願ったことが叶う」といった具合に、宇宙の法則はシンプルな因果関係で説明されているのを聞いたことがあると思います。
そうなのでしょうか?
私は病気や怪我からの回復や、再発の予防という分野で仕事をしていました。
その現場では「そんなにシンプルか?」と感じるような出来事をたくさん経験しています。
勉強していく過程で「体、心、魂」の関係性によって病気や怪我が生まれるのではないか?という考えに至り、スピリチュアル関連の書籍を読み漁っていましたが、どうも納得がいきません。
もともとが理系脳だったためか、スピリチュアル関係の人の言われている文章は理解できても、なんだか腑に落ちないというか、「違うんじゃない?」という感覚でいました。
そうは言っても、肉体と心と魂の関係の探求からは離れることができずに、思考がぐちゃぐちゃな状態でいました。
そんな時、このブログの管理者でもあるサトリさんの情報に触れる機会があり、これまで腑に落ちなかったところが解決できたのです。
サトリさんの解説によって、ずっと「科学的とは対極の世界」と思っていたスピリチュアルは、とっても現実的な在り方で存在して科学で説明できる部分が多いことに気づかせてもらいました。
そのきっかけになったのが、こちらの【サトリ式ビジネス講座】です。
スピリチュアルの考え方を、お金や仕事や実生活に落とし込んで解説されているので、イメージしやすいです。
「スピリチュアルをあちこち学びに行ってもよくわからない」という私のように迷路にはまっている人にとっては、これまで学んだ内容が繋がっていくという経験をすることになると思います。
無料でたっぷり学べるので、ぜひ登録してみてください。
この講座を通して、
- 「スピリチュアルの本質」
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- 「本当の豊かさ」
を学んで、スピリチュアルの迷路から抜け出ましょう。
【スピコジ ライター】医療関係の教育機関で、管理者、運営者、講師として活動中。10年以上の医療現場での経験から、肉体だけでなくスピリチュアルを考慮した生き方が健康に必要と考えている。「スピリチュアルの論理的解釈」を目標に自由な思考で、情報発信している。自由な思考を持った健康な人がプレーヤーとなって、人生というゲームを楽しめるようになって欲しい!
“自粛疲れとどう向き合えばいい?人生を変えるチャンスと捉えよう” への2件のフィードバック