こんにちは、表現者さちです。
人生とは何か?と考えたことは誰でも一度はあるのではないでしょうか?
特にスピリチュアルに興味を持つ人は、人一倍興味を持つ事柄なのかもしれません。
この記事では人生とは何か?ということをスピリチュアル的に考察していきます。
人生は魂の修行と聞いたことがあるかもしれません。
とはいえ、人それぞれの解釈によりどんな内容にも捉えることができてしまいます。
もしかしたら、苦しみを乗り越えていくことこそが人生だ!と試練ありきの人生を選んでる人もいるのかもしれません。
しかし、人生とは、本当にそんな過酷なものなのでしょうか?
そして魂の生まれ変わりについても考察していきます。
ここでは人生とは何か?をスピリチュアル的に考察し、今生の人生をより良く生きるための考えをお伝えしていきます。
また関連する記事があるので、あなたの今生の人生をより良く生きるための参考にしてくださいね。
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情報量が多いので、この記事をブックマークなどをして、ふと人生に疑問に感じた時など、いつでも読めるようにしてもらえたらと思います。
それでは、人生とは何か?スピリチュアル 的に考察していきますね。
人生とは何か?
人生って何なんだろう?
生まれてきた理由って何?
いつか死んでしまうのに何で生きているんだろう?
こんなにつらいのに何で生きるんだろう?
死に対する不安から人生の意味を考えたり、山あり谷あり、何で私はこんな苦しい思いをして生きるんだろう?と言う疑問から、人生に対する意味を求めたりすることが多いようです。
私も、幼稚園の頃から、人生とは何だろう?と考えていました。
老後や病気の心配している、いうそんな子供時代でした。
さらに怒鳴り声の絶えない家庭環境や発達障害などもあり、どうも周りの人とまともに会話すらできず、そのため人生とは苦しいものだ、この苦しさを乗り越えていくのが人生だと思っていました。
しかし、どうもその概念は違っていたようです。
人生とは何なのでしょうか?
人生とは旅である
人生とは過酷な試練を乗り越えて逝く、苦しいものなんて思っていたわけですが、どうもそうではなかったようです。
それは「人生とは旅である」と言うことです。
どこかにゴールがあるわけではなく、どこかに向かうためでもなく、ただ旅をするために人生があるんです。
こう言うと「え?この苦しみがこのまま続くだけなの?」と思う人もいるかもしれません。
しかし、この苦しさを永遠に続ける、というわけではありません。
そして旅行などで、物理的に旅に出るということが旅というわけでもありません。
もちろんそれが好きな人は好きに旅に行けばいいんですけどね。
何処かに旅行へ行かなくても、日常や日々が旅ということなんです。
私はこの言葉を、それまでの人生で絶望のどん底だったんじゃないか?と言う時に、初めて言われました。
その言葉を言われた時のことを、今でも世界が暗闇からパッと開いたのを鮮明に覚えています。
私は30歳の時に、ワーキングホリデーでオーストラリアへ行きました。
ワーホリというのは、1年その国に住めると言うビザで、オーストラリアでは1年目にファーム(農作業)などで仕事をすると、さらにもう1年住むことができるビザです。
私も2年目も住みたかったので、2年目のビザを申請し許可を待っていました。
なかなかビザ申請までが大変だったんですが、その待っている間に、悪性リンパ腫というガンが発覚したんです。
通訳越しにガン宣告ですよ、なかなかないですよね~。
さぁ2年目をどう過ごそうか??と思っていた矢先の出来事に、感情が追いつきませんでした。
そして日本へ緊急帰国となったわけですが、その時にオーストラリアで出会った姉さんに「新しい旅が始まるね」と言ってもらったんです。
その時の衝撃はありませんでした。
「あぁそうか、旅が終わるんじゃないんだ」「新しい旅の始まりなんだ」とそこで「人生って旅なんだ」と気づいたんです。
そして、日本に戻り「新しいガンという肉体を持った自分の旅」が始まり、それが苦しいだけではなく、楽しみに変換されたのを今でもはっきりと覚えています。
つまり人生の旅とはどういうことなのでしょうか?
人生とは魂の修行である
人生の旅というのは、魂の修行だということです。
修行と言うとなんだか、厳しそう、、、やっぱり人生とは過酷な試練を乗り越えていく苦しいものなんじゃん、と思うかもしれませんね。
もし本当にそうなのだとしたら、私ならそんな人生を生きるのやだなーと単純に思っちゃいます。
でもそうではありません。
では魂の修行とは何なのでしょうか?
それはどんなに苦しい出来事や、悲しいでき事があったのだとしても、それらを全て「学び」として受け取ることです。
悲しみの真っ只中にいると、そんな綺麗事言うなよ!と思うかもしれません。(私も思ってたし)
何が起きても、どんな出来事が起こったとしても、それらを「学び」とする事が魂の修行になっていきます。
それは、より自分がありたい未来、ありたい自分であるための「学び」なんです。
人生の中の出来事は、嬉しい体験も悲しい体験も全て経験として蓄積されます。
自分の肉体や、出会う人々に対して、そんな素直に思えない、、、、と言うほど辛い出来事や否定したくなることもあるかもしれません。
しかし、これらを必然だと受け入れることで、その苦しみからは解放されていくんです。
関連記事:
必然性の視点で人生を生きる!スピでありつつ地に足をつける生き方
私もオーストラリアでのガン宣告された時は、涙も出ず、ただ脳内にガーーーーンという言葉がよぎりました。
ガンて宣告されたら本当にガーーーーンって思うんだー、なんて思ってました。
その頃は、魂の修行と言う概念はなかったわけですが、人生は旅であると言うことを知り、未来に光が見え、世界の概念が変わりました。
別にその出来事に対して、ありがとう!全てに感謝!!!だなんて今思えなくたって構いません。
ただそう言う出来事があり、全ての体験が今に繋がっているという認識をまずは持つということが大切なのです。
今でも再発の可能性もまだありますが、そんな出来事も全てひっくるめて学びなんだな、と今が在ることに対してなんて尊いんだろうか、と思っていますが、そうなるまでには色々ありました。
その色々が魂の修行の過程でもあります。
その出来事なしには今の自分は存在しません。
さらにこれは、瞑想をし観察者の意識を持つことで、さらに受け取りやすくなります。
こちらの記事も参考にしてみてくださいね。
続いてはこの魂の生まれ変わりについて考察していってみましょう。
生まれ変わりについての考察
あなたは生まれ変わりについてどう思いますか?
テレビやネットで調べてみると、小さな子供が前世の記憶を持っていて、自分の前世について話したり、前世の自分の死に方を覚えていたりと言われてたりします。
前世や来世は存在するのでしょうか?
魂は死後も不滅なのでしょうか?
魂は次の人生に引き継がれていくのでしょうか?
参考記事:
前世の記憶を思い出した子供たち、、、信憑性とその意味は?
参考記事:
前世占いは当たるのか?前世を知るのは何のためか?
考察していってみましょう。
前世や来世はあるのか?
そもそも前世や来世というのは存在するのでしょうか?
前世や来世は宗教などでも語られていますよね。
前世や来世があるということは、魂があり、魂が肉体を離れ、新たな肉体に変わり、受け継がれていくという考え方です。
魂は死後も不滅なのか?
この魂というのは死後も不滅なのでしょうか?
魂が受け継がれるというと、インドの輪廻転成の考え方が有名だそうです。
他にもギリシャ神話では、死者の魂はレーテという忘却の川があり、その水に浸かると記憶が洗い流され、記憶を失った状態で新たな生を受けるという考えもあるようです。
どこの国にも、魂の輪廻というのは考えられているようですね。
では魂は次の人生に受け継がれていくのでしょうか?
魂は次の人生に受け継がれるのか?
色々な宗教や神話はありますが、魂は次の人生に受け継がれるのでしょうか?
様々な考え方はありますが、仏教のお釈迦様はこの魂の受け継ぎを否定しているんです。
日本人はなんだか輪廻転生を受け入れやすいイメージがあるのに、ちょっと意外だなと思いました。
お釈迦様は、絶対的なものは存在しないという考え方なんですね。
魂の受け継ぎでよく言われているのが、抜け出た魂が大いなる存在へと一つになり、またそれが分かれていく、というものが多いようです。
生まれ変わりや魂の引き継ぎについては、スピこじ編集長がこちらでも考察しています。
【関連動画】
私自身も絶対的なものは存在しない、という考えを持っています。
そのため、魂が次の人生に受け継がれるというのはどうなのだろうか?あるかもしれないし、ないかもしれない、どちらとも思っています。
これらは証明することができるのでしょうか?
これらのことは証明できるのか?
前世や来世、魂が受け継がれるのか?残念ながらこれらは今のところは科学的に証明することはできません。
とはいえ「科学的」に証明されないとはいえ、それが存在しない訳ではありません。
小さな子供が鮮明に語ることを「嘘だ!」と否定するのには無理があるし、だからといって、個人の体験を絶対に存在するものとして証明することもできないということです。
私も瞑想やヒーリングを学ぶことようになり、目に見えない世界、直接物質を触ることができない世界、というものがあるんだな、と思うようになりました。
でもそれを他者に伝えたくとも「体験してみて」としか言えないんですよね。
これもただの思い込みかもしれないし、そうでないとも、どちらとも言えないんですよね。
人それぞれの世界に存在するものなんです。
「目に見えない」世界、それらをこの物質世界の中で科学的に証明する、というのはなかなか難しいのかもしれません。
前世や魂の受け継ぎも同じように、否定も肯定どちらも今のところは「科学的」には証明できないということですね。
とはいえ、それでただ否定的に考えてもつまんないですよね。
それなら前世や来世の概念をどう捉えたらいいのでしょうか?
前世や来世をストーリーとして楽しむのはOK
前世や来世を証明することはできないけれど、否定する必要もありません。
信じたかったら信じればOKなんです。
どうしたって今の人間に、証明することは不可能なんです。
これは、何でもかんでも個人の思い込みが真実になるから好きに信じればいいんだ!ということではありません。
つまり前世や来世をストーリーとして楽しむのがOKということです。
個人の思い込みと、普遍的な事実は区別した上で、自分はその前世や来世というストーリーを楽しむということですね。
客観的な事実と、自分自身の信じるものを分けて考えることができるのならば、そして今生の人生において、より良い人生を歩めるのであれば、前世や来世の存在を信じるのも面白いのではないでしょうか?
しかし、もしあなたが前世や来世があることを前提として生きる、というのなら、ちょっと注意が必要かもしれません。
前世や来世があること前提で生きるのはリスク?
ただし、注意が必要なのは、前世や来世があること前提で生きるのはリスクがあるのではないか?ということです。
自分にとっての真実は自由です。
自分が信じた世界は、その人にとっての真実になります。
しかし、前世や来世があることをストーリーとして楽しむ分にはいいけれど、前提で生きるというのはちょっと危険かもしれません。
前世や来世でよくあるのが、ソウルメイトやツインレイなどです。
究極の存在のツインレイだから、あの人と必ず繋がるはず!今苦しいのは魂の学びなんだ!という考えを持っていたのだとしたら注意が必要です。
ぶっちゃけ私もちょっぴりはまっていたことがあるので、こちらの記事を読んでみてください。
参考記事:
ソウルメイトとは何か?を運命論から離れて考えてみる
今生という今を軸に生きて、過去に〇〇のような生き方をしてきたんだ~今と繋がるかも〜と楽しんでいるだけ、ならいいんです。
ただ、もし前世が〇〇だったから、今が不幸なんだ、とか、今生が不幸だから、来世で幸せに生まれたい、とか思っているようだったらそれはちょっと待ってください。
前世や来世があろうが、なからろうが、今生は今この瞬間にしかありません。
「今生のあなた」はここにしか存在しません。
【関連動画】
それならば、来世や前世に期待するよりも「今の自分」をよりよく生きるということが大切なのではないでしょうか?
ではよりよく生きるとはどういうことなのでしょうか?
魂の修行とは人間修行のこと
はじめの方で「人生とは魂の修行」と書きましたが、「魂の修行とは人間修行」のことです。
魂の修行というと、過酷で何か崇高なことを想像するかもしれませんが、そうではありません。
人間修行とは、もっと身近で普遍的な事柄です。
今生をより良く生きるための自己成長とも言えます。
それは自分の欲求を満たしていくということでもあります。
こちらでも編集長が魂の成長や欲求に関して語っているので、見てみてくださいね。
【関連動画】
ではどういうことが挙げられるのでしょうか?
人間としてできることの幅を広げる
人間修行とは、人間としてできることの幅を広げていくということです。
自分自身ができることを増やしていくことが、人間としての成長となっていきます。
なんでもそうですよね。
始めはできなくても、勉強や練習を繰り返してできることの幅を広げていきます。
仕事で一つ一つ仕事を覚えてできるようになるのも、料理をしてだんだんと包丁の使い方がうまくなっていくのも、キャンプで火を起こせるようになるのも、趣味で絵を描いて毎日書き続けて上達するのも、全部そうです。
どれも人間としてできる幅を増やすことが、人間修行になっていきます。
そして人それぞれ得意不得意もあります。
それらを補い合うことができるのも、人間です。
関連記事:
人事を尽くして天命を待つことが、引き寄せの法則の極意だった
人間修行では、人間同士の繋がりにおいてこれも大切です。
人格を磨く
それは、人格を磨くということです。
何かができる、何かができない、それぞれが個別として存在している以上、そこには差が生まれます。
私はあの人よりできているという優越感や、あの人よりできないという劣等感が生まれたりするかもしれません。
でもそうではないんです。
誰かよりできて、誰かよりできないと劣等感や優越感に嘆く必要がそもそもありません。
人はそれぞれの人生を生きています。
自分にとって得意でできることもあれば、できないこともあります。
それは相手から見ても同じことです。
お互いを認めあい、受け入れ合うことが大切です。
魂:情報身体を成長させていく
「情報身体」という言葉を初めて聞いた人もいるのではないでしょうか?
ここまで、生まれ変わりや魂などについて伝えてきましたが、どこか現実的でないようなふわふわとしたもの、という印象があったかもしれません。
ここでは「魂」を今生の人生に落とし込みんでいきたいと思います。
「魂」は「情報」でできています。
ここでは、あなたがあなたとして在るのは、物質や情報の繋がりである「関係性」のことを「魂」と呼んでいます。
「魂」については、編集長が詳しく解説しているので、こちらの記事を読んでみてくださいね。
参考記事:
魂とは肉体だけに宿るものにあらず。『引き寄せ力』と高める秘訣は魂の意味を再定義することだった
【関連動画】
ここに「あなたがあなたである」と認識できるのは、ここにいるという情報があり、自分以外の人や物との関係性があるため、「あなた」を認識できます。
そして、「魂」は「あなたの身体」に宿っていますよね。
そのためこの情報身体を成長させることも魂の成長になります。
スピリチュアル に興味を持つと、ありがちなのが、自分の心や魂に強く意識を向けるんですが、他人の心のことを考えるところまで及ばないということがあります。
これも自分が悩みのどん底にいる時に、スピリチュアル というものに出会ったのだとしたら、他人の心や魂にまで意識向けれないよ、ということもあるかもしれません。
しかし、いつまでも自分の宇宙、自分の魂のみに意識を向けていたのでは、魂の成長もそこで止まってしまいます。
そこで情報身体を成長させることが、魂の成長ともなるのです。
それは他者から見た自分という情報を意識することです。
他者に意識を向け、他者から見た自分というそれまでの認識を、それを書き換えるようにするんです。
そのためには、行動を起こすことが必要になります。
【関連動画】
自分の魂が身体に宿っていると考えるのなら、それはRPGのようではないでしょうか?
人生とはRPGのようなものである
スピリチュアルを学んでいくと、人生はRPGのゲームのようだと聞いたことはありしませんか?
しかし、その本当の意味を理解しているのでしょうか。
これは物事を、達観して受け取り、感情を感じないようにしよう、ということではありません。
観察者としての意識を持ち、人生のドラマから抜けてゲームマスターの自分を思い出そうということです。
参考記事:
感情を観察すれば『メタ視点』を持て、ドラマから抜け出しゲームマスターの自分(真我)を思い出せる
観察者としての自分とは一体どういうことなのでしょうか?
観照意識としての自分
ドラマの主人公は、悲しかったら泣く、腹が立ったなら怒るというように自分の視点から見た意識状態です。
ああなんて自分は不幸なんだ!という悲劇のヒロインの状態、にもなりやすい状態かもしれませんね。
そして、これを観察者の視点を持って観るのが、ああなんて自分は不幸なんだ!という悲劇のヒロインを演じているんだな、というドラマの外から観る俳優のような状態です。
観察者の視点だと主人公が怒っていようが、実際には怒ってはいません。
怒っている自分を演じているだけ、なんです。
これが観照意識としての自分なんですね。
何か辛い出来事や、悲しい出来事が起きて、感情が揺さぶられても、「ああ今自分は、この出来事に対して怒っているんだな」となっている状態です。
そしてこの観察者の視点ともう一つの視点があるんです。
プレイヤーでありゲームマスターでもある自分
観察者の視点も面白いかもしれませんが、もう一つの視点が、単なる「観照者」ではなく「創造者」でもある、ということです。
プレイヤーでありゲームマスターでもある自分が存在するんです。
つまりあなたが観察しているのは、決まった台本通りに進むドラマを見ているだけ、ではないということです。
そのためRPG(ロールプレイングゲーム)のようなものなんですね。
あなたは「あなたの人生」というゲームのプレイヤーであり、それを創造しているゲームマスターでもあるんです。
ゲームの中で、何かイベント(辛い出来事や楽しい出来事なんでも)があり、それに対してあなたは悩んだり、怒ったり、楽しんだりしている主人公(自分)を観て、それを感情移入して一緒に楽しんでいる、ということです。
でもそれは感情に囚われている訳ではありません。
この主人公を導く、ゲームマスターでもあるんですね。
この主人公(自分)が感情に囚われてしまうのではなく、それをゲームマスターでもあるあなたが導くことで、この「あなたの人生」というゲームをより楽しむことができるんです。
今生の人生でしか経験できないこと
今生は今しか存在しません。
何が起きても、どんな出来事が起こったとしても、それらは全てあなたに与えられた旅の過程の一つです。
もし前世や来世が本当に存在するのだとしても、今生は一度きりです。
この時代の、この世界で、今を感じられるあなたは、今ここにしか存在しません。
今生の人生でしか経験できないことをしませんか?
終わりを迎える時に後悔のない生き方を
前世も来世もあっても、なくても今の人生を終わりを迎える時に、後悔のない生き方をしたいですよね。
死の間際に、あれをしとけばよかった、と嘆いても手遅れです。
人生の終わりを迎える時に後悔のないようにするには、「今この瞬間をただ感じて生きる」ということをするしかありません。
色々な出来事に心が折れたり、悩んだりするかもしれません。
しかし、観照意識を持ち自分が「あなたの人生」というゲームを楽しんでいるんだ、ということを思い出して、今を思いっきり楽しんで生きてみませんか?
関連記事:
潜在意識とは?語る人は多いが使いこなす人が少ない理由
関連記事:
潜在意識で引き寄せる?まずは引き寄せの法則の真実を理解すること
この記事のまとめ
人生とは何か?をスピリチュアル視点でお伝えしてきました。
最後にこの記事でお伝えした大切なポイントをまとめていきますね。
・人生とは旅であり、魂の修行である
・全ての出来事を「学び」として受け取る
・前世や来世はストーリーとして楽しむのはOK
・魂の修行とは人間修行のこと
・人間としてできることの幅を広げていく
・人に対する優劣を気にする必要はない、それぞれの人生の旅を歩んでいるだけ
・「魂」は「情報」でできているため情報身体を成長させることが魂の成長になる
・他者に意識を向け、他者から見た自分というそれまでの認識を書き換える
・人生はRPGのようなもの
・観察者としての意識を持ち、人生のドラマから抜けてゲームマスターの自分を思い出す
・単なる「観照者」ではなく「創造者」でもある
・ゲームマスターでもあるあなたが導くことで、この「あなたの人生」をより楽しむことができる
・前世や来世があろうが、なからろうが、今生のあんたは今この瞬間にしかいない
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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本気で人生を変えたいあなたへ
ここまで読んでいただきありがとうございます^^
実は私がこんなライターをやることになるだなんて思いもしませんでした。
小さい頃から人に対する恐怖心が異様に強くあり小中4年間の不登校や場面緘黙などがあり言葉で表現することがとても苦手でした。
好きなデザインの仕事に就くもまともに話せず人への過度な緊張に疲れ4年で退社。
その後、海外で韓国の韓紙に出会い「一生やる」と瞬間的に感じ韓紙アーティストへの道を歩むことになりました。
しかし根本的な人に対する恐怖心や自己否定感は消えず、自己啓発や様々な本を実践。
それもうまくいかずスピリチュアルの概念を知ることになりました。
一旦は生きやすくなったかのように見えましたが、スピリチュアルを知るほど理想と現実がかけ離れ苦しくなりました。
その頃に出会ったのがこのサイトを運営しているサトリさんの「左脳系スピリチュアル」でした。
FBで友人達が「いいね」してたんですよね。
読むと「私が知りたかったこと!現実とスピリチュアルを繋げてくれる人だ」とFBやブログを読み気づいたら直接会うようになっていました。直接会ってもそのままの人でした。
そこで学んだことで、話すことはもちろん、Lineの返信に2時間かかっていた私が、ブログを書くことの面白さを知り、さらに自分の想いを言語化できることになったことで話すことへの過度な緊張がなくなり喜びを持つようになりました。
「スピリチュアルや本質論が好きなんだけど、現実へと落とし込めない、お金もないし現実が変わらなくて苦しい」と思っているのなら「現実に生かせる左脳系スピリチュアル」の世界を一度のぞいてみてください。
それまでの自分が信じてきた世界の概念ががらりと変わり面白いですよ^^
【スピこじ】のライター。表現者、韓紙アーティスト、グラフィックデザイナー、諸々屋。一瞬で虜となった韓国の韓紙-hanji-を主にした作品作りをしている。誰もが “表現者” として生き “個” と “個” が繋がり合う世界へ。肉体や行動の大切さに気づき、思考であそび、そして現実とスピリチュアルを繋げることで「現実に変化を起こす」ことの面白さを伝えている。
“人生とは何か?スピリチュアル的に言うと魂の修行の過程である” への5件のフィードバック