神社へのお参りの仕方と、神様とのお付き合いの作法

初宮参り、七五三、受験、就職、厄払い、結婚、病気、といった人生の節目で「神社にお参り」に行くことは何度もありますね。

そんな時、

  • どんな服装で行けばいいのか
  • 決まったお参りの方法はあるのか
  • 間違うとバチが当たるのか
  • お賽銭は多いほうがいいのか
  • 神様にはどんなお願いをしたらいいのか

などなど、意外とわからないことが多いのではないでしょうか。

この記事では、

神社でお参りをする時の正しい方法

神社でお参りをする意味

願いを叶えるための考え方

についてまとめました。

身近にありながらも遠い存在に思える神社と神様ですが、どのようにお付き合いをしていくと良いかがわかるようになると思います。

神社や神様の力を正しく理解して、願いを叶えられる人が増えてほしいな、と思っています。


また、関連する内容の記事もまとめておきました。


関連記事:
神社に相性や属性があるってホント?相性よりも注意すべきなのは、、、


関連記事:
お金持ちの神社との付き合い方とは?迷信と御利益の区別をつけよう


関連記事:
パワースポットの相性の見分け方!繭気属性はどこまで考えるべき?


関連記事:
運気が上がる〇〇商法にご注意!運の良さもプラシーボで上下する


併せて読むとより、理解も深まるはずです。

濃い内容を盛り込んでいるので、このページはぜひ、お気に入りやブックマークに追加して、じっくり読み込んでみてください。

それでは、ご覧ください!

神社お参りの仕方について

大きい、小さいといった規模の差はあると思いますが、日本には本当に多くの場所に神社があります。

神社というのは、人間の都合で建てたところに神様をお呼びしたのではなく、神様がいるところに神社を建てたと言われます。

神様がいる場所には、「神様からの恵み」を求めて人が集まります。

それを「氣」と表現する人もいるし、「エネルギー」と呼ぶ人もいるし、「御加護」と感じる人もいるでしょう。

実際に、神社に行く時というのは、初宮参りや七五三といった、人生の節目を迎える時や、合格祈願や必勝祈願や厄払いといった具体的なお願い事をする時だと思います。

神様の力が、エネルギーが必要となる時に、神社に行ってその力を分けてもらうというイメージですね。

お参りする、参拝する、というのはそういうことだと言われます。

しかし、誤解している人も多いようです。

自分が何もしなくても、神社に行って願い事を言えば叶えてもらえる、と思っている「他力本願」な人がいるように見えます。

望みを一つだけ叶えてくれる「ドラゴンボールの神龍」だって、叶えてもらうために世界中に散らばったドラゴンボールを7つ集めますよね。

大変な努力です。

自分の努力なく願いを叶えてもらおうというのは大間違いです。

日頃からたゆまぬ努力をしているけども、自分の努力だけではどうにもならないことに対して、何とか達成できるように力を借りるわけですね。

「神様は自分自身の中にある」、とスピリチュアル的には言われます。

ということは「日々、共に在る」わけですね。

神社にお参りに行くというのは、そのことに対しての「感謝」を伝えるという意味でもあります。

そのお参りには、手順が定められている場合があります。

そこには「努力の報告と感謝を伝える気持ち」が盛り込まれているのだと私は感じています。

特に理由も目的もなく神社に訪れた人と、見分けるためなのかもしれません(笑

だとしたら、「お参りの方法」はきちんと行わないといけませんね。

その理由をもう少し解説します。

儀式だからこそ正しい手順を学ぶ

神社は神道という宗教の施設の一つです。

なので、数々の「儀式」が存在します。

儀式というのは「それを通して、ある状態(存在)から別の状態(存在)に変化するためのフォーマットである」と私は捉えています。

個人的に行うものもあれば、集団で行うものもあります。

現代では大騒ぎして、屋台が出て、花火を見る、という印象を持たれる「祭り」ですが、もともとは宗教的な意味合いが強く「儀式」の一つでした。

結婚式も儀式の一つですね。

私の話で恐縮ですが、私は神前式を選びました。

数種類の儀式を行いました。

当時は、その意味はわかりませんでしたが、その儀式を通して「夫婦になるんだなあ」と実感できた記憶があります。

婚姻届を出して、すでに一緒に生活をしていたのに、この儀式を通したことで「夫婦になる実感」ができたのです。

儀式というものの意味や在り方を、思い出しました。

神社におけるお参り(参拝)も儀式の一つです

厄や穢れ(けがれ)がついた状態から、それが取り払われた状態になるために「今の状態よりももっとエネルギーを上げた状態」になるための儀式です。

だからこそ、神社で定められた「正しい方法」でお参り(参拝)をすることが重要なのです。

手順を無視した方法では儀式は完成しません。

それはつまり「成就しない」方向に向かってしまうということですね…。

では、「定められた方法」とはどんな方法でしょうか?

正しい参拝方法

一般的な日本人であれば、宗教的な振る舞いというのは「親の真似」から始まります。

親が仏壇に拝むときに、お線香に火をつけて1本立てていれば、子供もそのように行います。

親がお線香を折って火をつけていれば、子供もそのように行います。

お焼香の方法もそうです。

食事の前に祈りを捧げていれば、子供もそのように行います。

こういった形で、親を真似ることで子供は儀式について学習していきます

何処かのタイミングで「正しい方法」を習うまでは。。。

私自身も調べて行く過程で「知らなかった」、「自分がやっていたのとは違った」というものがありました。

実際に神社に行っても、様々な方法で参拝されている方を目にします。

自分が知っている方法が「正しい作法と違う」ことに気づいていない人も多いのです。

代表的な作法の内容についてまとめましたので、参考にしてみてください。

服装について

通常の参拝昇殿しての参拝は分けて考えます。

通常の参拝であれば、厳しい規定などはないようです。

ただし、「目上の人と会う時にもその服を選ぶか?」という視点は忘れないでください。

デニムやTシャツに、スニーカーやサンダルだと参拝を断られるところもあります。

服装ではなく信仰の気持ちの方が大事だ、という人もいますが、その気持ちがあればこそ「適当な服装」を選択しませんよね。

「あなたに敬意を持っています」というのが伝わる服装を選ぶと良いと思います。

襟付きのシャツや、落ち着いた色の服、肌の露出は控える、といった感じでしょうか。

ちなみに本殿に昇殿してのご祈祷の場合は明確です。

厄払いや七五三参りの時など、本殿に昇殿する場合は「正装」を選択します。

男性であればスーツを着てネクタイを巻きましょう。

女性もそれ相応のフォーマルな服装を選択しましょう。

私は過去に伊勢神宮の参拝ツアーに参加したことがあるのですが、その時は「礼服」でした。

服装には気持ちが(無意識に)現れます。

神様とどう向き合いたいのか、という基準で選択してみてください。

ペットの連れ込みはOK?

神社では、「動物は穢れである」という考え方が根付いているようです。

神社にいる神聖な動物(お稲荷さんや狛犬や蛇など)への影響も考慮されているみたいですね。

なかには、神様の使いとして「お犬様」を祀る神社もあるようで、ペットを連れての参拝が可能な神社もあります。

しかし、境内にペットといっしょに入ることが禁止されている神社は多いようです。

伊勢神宮では明確に「ペットを連れての参拝」を断っています。

糞尿の問題とか、鳴き声とか、ありますからね。。。

どうしてもペットを連れて神社に行く時でも、鳥居の前までのようです。

それぞれの神社へ問い合わせていただくのが確実です。

境内への入り方

境内への入り方

神社には鳥居や門があります。

神社の鳥居や門は、私たちが暮らす世界(俗世)と神様の世界(神域)の境界とも言われます。

なので、鳥居や門に入る時は「失礼いたします」の気持ちをこめて、礼をします。

礼をしてから鳥居や門を潜りましょう。

また帰る時は、鳥居や門を出た後に社殿の方を向き「失礼いたしました」の気持ちをこめて、礼をします。

自分が神社へ参拝に訪れたことを報告するための意味があるのでしょう。

よそのお宅にお邪魔した際と同じですね。

参道の歩き方

参道の真ん中は、神様の通り道と言われます。

参道を歩く際は、真ん中を避けて両端を歩きます。

参道を横切る際は軽く頭を下げてから通ります。

参拝が終わり、帰る時も同様に真ん中は避けて歩きます。

特別な作法というわけでもなく、「道を譲る」というのは一般的なマナーだと思います。

手水舎での振舞い

手水舎(ちょうずや)では手と口を清めます。

公衆衛生的に「洗う」という動作ではなく、身も心も清める「禊(みそぎ)」を簡略化した儀式だと思ってください。

体についた穢れ(けがれ)を落としてから、神様の前に赴くという意味です。

手水舎の前に行くと、その方法が書かれていることが多いので、それを見ながら行っても良いと思います。

順番に見ていきましょう。

1)手水舎の前で軽く一礼する。

2)右手で柄杓(ひしゃく)をとり、たっぷりと水を汲み、その水で左手を清めます。

3)柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。

4)もう一度右手に持ち替えて、左手で水を受け、その水で口をすすぎます。

5)その左手を清めます。

6)両手で柄杓を持ち、柄杓を立てるようにして残った水で持ち手の部分を清めます。

7)元の場所に柄杓を戻します。

8)手水舎を出る時に、軽く一礼をします。

以上になります。

気をつけたいのは、途中で水をすくい直すことがないように、最初にたっぷりの水をすくうことです。

また、口を清める際に、柄杓に直接口をつけないようにします。

当たり前ですけど、ハンカチを忘れずにもっていきましょうね。

水のついた手を振ったり、服で拭いている人とかを見ることがあります。。。

「儀式である」という意識を持ちましょう。

賽銭箱前での振舞い

もともと、御神前には海や山の幸が供えられました。その中でも特に米を白紙で巻いて包み「おひねり」としてお供えしました。
<神社本庁HPより>

価値のあるものを感謝の気持ちとしてお供えしていたわけですが、貨幣の普及とともに金銭も供えられるようになってきたそうです。

賽銭箱の前に来たら、まずは一礼します(会釈じゃないですよ。45度くらいの礼です)。

お賽銭は投げ入れても構わないのですが、「自分の感謝の意」を表してのお供えとなりますので、真心を込めた投げ方にします。

力任せに勢いつけて投げるのではなく、そっと丁寧に投げ入れましょう

ちなみに、お賽銭の額は願い事の対価という意味ではありません

「どうしても叶えて欲しいから1万円を出そう」というのは間違った発想ですよ。

1円でも、1万円でも変わらないということです。

私は100円や10円を入れることが多いですね。

拝礼の仕方

その後、鈴を鳴らします。

鈴ではなく銅鑼のような作りをしている神社もあります。

綱や紐が垂れていますので、それを持って鈴を鳴らしましょう。

インターホンの意味で鳴らしている人もいると聞いたことがありますが、違います。

鈴は「魔除け」の意味で鳴らします

ご祈祷を受ける時などに、巫女さんからの鈴の音を受ける場面もあります。

それと同じでしょうね。

鈴を鳴らした後、「二拝二拍手一拝」の作法を行います。

「拝」というのは腰から90度に折った形の礼です。

最も敬意を表した礼ですね。

背中を丸めずにまっすぐな状態にして「2回」行いましょう。

その後、胸の高さで手を合わせ、右手の指を少し下にずらします。

肩幅程度に両手を開き「2回」拍手を行います

ずらした指先を戻して祈ります。

最後にもう一度、背中をまっすぐにして90度に折った形の礼を「1回」行います。

神社によっては、「二拍手」ではなく「四拍手」のところもありますので、その神社の作法に従ってください。

私は自宅の神棚に向かっても、日々このような作法で行っています。

一時期、大変に凝っていた時期は「祝詞」も読んでいました。

さすがにそこまではする必要ないですが、神様に祈る時には「敬意」を表すことが大切ですね。

御朱印について

御朱印とは、参拝の証としていただく印のことです

寺社や御本尊の名前や参拝日が、墨で書かれています。

私はいただいたことはありませんが、「自分のために」手書きで書かれたものという感覚を持つせいか、御朱印を集めることがブームになっているという話を聞きます。

御朱印は、御朱印代として300円や500円を支払うといただけるのですが、だからと言って参拝せずに御朱印だけもらうのは失礼にあたります。

儀式としての参拝が済んだ後に社務所に行き、いただくようにしましょう。

おみくじや絵馬について

おみくじついては、こちらの記事でも触れています。

関連記事:
おみくじの順位に意味はあるの?お正月の儀式として楽しもう


関連記事:
おみくじの順番と意味は?おみくじとの賢い付き合い方


関連記事:
おみくじを結ぶのにはどんな意味がある?結果で運勢は変わるのか?


関連記事:
おみくじは凶と大吉どちらがいいの?それぞれが出る確率も考察

おみくじは、参拝とセットにして運気を占うつもりで引いている方が多いと思います。

吉や凶といった結果ではなく、書かれている内容をよく読み、今後の生活に生かしていけると良いでしょう。

なので、引いたおみくじは持ち帰っても問題はないそうです。

「神様とのご縁を結ぶ」という意味で、神社に設けられた場所に結んで帰ることも間違いではありません。

しかし、おみくじの内容を生活に活かすという意味では、持ち帰って読み返した方がオススメです。

絵馬の場合はおみくじと違い、持ち帰りません。

その理由はこちらにまとめられていますので、ご参照ください。

関連記事:
絵馬の書き方と由来とは?効果的な方法も解説します

神社にある絵馬を見てみると、合格祈願や必勝祈願が書いてあります。

他には病気からの回復や家族の幸せを願う内容もあります。

世界の平和を祈願しているものも見たことがあります。

おみくじも絵馬も、願いを叶えるツールであるわけですが、共通しているのは、他力本願では願いは叶わない、という部分ですね。

私個人的には、願いは叶えてもらうものではなく叶えるもの、と考えています。

自分の行動によってのみ願いが叶う、そう信じています。

おみくじは行動指針というか道しるべの存在ですし、絵馬に関しては宣言という風に捉えています。

もしも私の考えている通りなのだとしたら、いったい神社では何をするというのでしょう?

神社とは祈願のために参るもの

合格祈願、必勝祈願、厄除け祈願、などなど、神社には祈願のために訪れて、お参りをします。

ここで「祈願する」ということを整理してみましょう。

祈願するとか祈るとかというのは、「神格化された対象に実現を請うこと」と言われます。

「~~~になってほしいなー」と、日々ぼんやり考えていたところで、その実現可能性は恐ろしく低いことは経験的にわかると思います。

これまで起こっていないことを実現させるためには「ある状態から別の状態への変化」が必要になります

それをフォーマット化したものが儀式でしたね。

その儀式を通して行えば、実現の可能性が高まります。

神社に訪れるのは「儀式」を行い、願いを実現するための行動にスイッチを入れるためなのです。

当たり前ですけど、スイッチを一度入れただけでは行動は続きません。

たとえ儀式を正確に行っていても。

行動が続くために必要なことはどんなことでしょう?

その準備をして参拝することで、願いは実現しやすくなることでしょう。

それは、、、

↓↓↓

あらかじめ祈願を用意しておく

行動が続くために必要なことは、実現したいことを明確にすることです。

明確にした状態で参拝することで、実現のための行動を行いやすくなります。

神社に参拝する時は「願いが一言でまとまるように」整理することをお勧めします。

抽象的すぎれば願いはぼんやりします。

具体的すぎれば願いを表現しきれない場合があります。

最適な表現で、最適な長さで、願いをまとめようとするその作業こそ、人生の方向性を明確にすることと言えますよね。

その方向性が明確になった上で、結果の実現を願うのではなく、結果にたどり着くための過程(行動)の実現を願うと良いのではないでしょうか。

合格を祈願するのであれば、「■■という学校に合格しますように」ではなく「自分は〇〇という未来を成し遂げたい。そのために■■という学校に合格するための行動が続けられますように」という感じで。


オススメは、あらかじめ今年の抱負とかをしっかりと決めておくことですね。

抱負を元に、神社で祈願することを考えればいいんです。

関連記事:
今年の抱負はもう考えた?抱負を考える前に理解すべきこと


関連記事:
新年の抱負の決め方をミスって1年を台無しにしないために

願いの実現に向けて大切なのは、ゴール設定とそこに向かうための行動です。

しかし、儀式であるとはいえ、なぜわざわざ神社で祈願するのでしょう?

人生の目標設定や行動計画は、自宅でもカフェでもできそうなものです。

なぜ神社に行くのか考えてみました。

非日常的なパワースポットで自分と向き合う

非日常的なパワースポットで自分と向き合う

神社はもともと神聖な場所に建てられると聞きます。

その上、人々が「祈りを捧げに集まる」わけなので、神社は「実現に向けて行動しようとする意識」が発生しています。

神社は「神様の力」と、人生における重要な局面を迎え「これまでと違う状態(存在)になりたいという意識」が集まっている場所といえますね。

「そういう場所」にいくことで、自分もその意識になりやすくなります。

儀式を通せば尚更です。

パワースポットという呼ばれ方をしますが、神社は「願いの実現」に向けた意識が集まっている空間になっているということですね。

日常的な空間ではない場所で、非日常の意識に包まれた時、「自分自身」に気づきやすいと私は考えます。

前向きな意識の空間に身を置いた時に違和感を感じたのであれば「前向きな意識になれていない自分自身」を自覚するということですね。

そのままでは願いの実現可能性は低いでしょう。

神社にお参りに来て、「よし、がんばろう」と思えないのであれば、それは叶わない可能性が高い、ということですね。

目標設定も行動計画も、自分の思考の中で可能です。

それは「日常」とも言えます。

前向きな意識が集まる(非日常な)場所に行くことで、「自分の日常」を書き換える必要性を感じたりします。

その感覚に従って行動することで願いの実現に近づく場合もあります。

パワースポットは、そういう使い方も可能になりますね。


パワースポットに関しては、スピこじ編集長が動画でも解説しています。


神社仏閣がなぜパワースポットになるのか?

自分と向き合う時というのは、自分だけでは行えません。

鏡に映った自分を見て初めて自分を自覚できるように、「対象となるものには自分が投影されている」というイメージが自分自身と向き合う時に必要です。

スピリチュアル的には「神様は自分自身の潜在意識が投影された存在である」という解釈がされます。

祈願の対象であり、潜在意識が投影されていると解釈される神様と、前向きな意識が集まりパワースポットとなっている神社だからこそ自分自身に気づくことができるのかもしれません。

神頼みではなく荘厳な祈り

神頼みという言葉がありますが、「神様、お願いします」という態度は明らかに自分とは切り離された存在として「神様」を設定しています。

神様は、常にあなたと共にある存在であるとスピリチュアルでは説明されます。

あなたが自分自身ではなかなか気づくことができない「本来の自分」とも言えます。

だから、「神様に祈る」というのは「願いを実現するための行動を自分自身に誓う」と言い換えることができると私は思います。


参考記事:
祈りとはあなたの中の神(真我)に対して感謝すること カルマの解放によって創造の力を発揮する

「本来のあなた」には、その行動が取れるだけの力が、願望を創造するだけの力があります。

しかし、自分自身と切り離した存在として神様を設定すると、その力を手放すことにもなりかねません。

神頼みだと、その時点で実現の可能性を下げてしまうのです。

神社に参拝し、神様に祈るというのは、「常に自分と在る存在としての神を神社に投影し、共に在ることに感謝し、行動と目標を明確にして宣言する」ということなのだと思います。

神社、儀式、神様のことが整理されてきましたね。

それでは、最後に「その神様とどうお付き合いするものか」を考えてみましょう。

神様とのお付き合いの作法を身につけよう

神様とは本来のあなた自身であると書きました。

神社という場所も、そこでの儀式も、おみくじなどのツールも、あなたが本来のあなた自身と向き合うための仕掛けであると、私は思います。

そう言われても、「自分自身が神である」という表現にしっくりきませんよね。

一歩間違えればカルト宗教の教祖になってしまいそうです。

私が言いたいのは、「あなた自身には、この先何でも成し遂げることができる可能性がある」ということです。

しかし、それには本来の自分自身と向き合わないといけません

「神様お願い!」という態度は、自分自身のことを「何もできないちっぽけな存在」にしてしまっています

しかも、自ら。。。

神社での作法というのは、そういう「誤解」を取り除くためのものではないでしょうか?

きちんとした服装をしたり、手や口を清めたり、敬意を持って礼をしたりするのは、儀式を通して「可能性に溢れた自分自身に気づく」ためなのです。

実際に、意味がわかっていなくても儀式を言われた通りにやろうとすると「ちゃんとした人間になった」ような気分になります。

自分にもそういう一面があるんだと気付けるようになります。

これまでの自分とは違うんだ、変化できるんだ、と実感できるのです。

「お参りの時は失礼がないようにマフラー、帽子は外しましょう。」というのは、偉大な神様の前だからという意味だけではありません。

自分は「そういうところに気を配れる存在である」と気がつくためなのです。

歴史上の言い伝えや伝統はもちろん大切にします。

その部分を知った上で「自分自身に気づく」ための最適な対象としての神社を、選ぶのだと思います。

本来の自分が願う未来が訪れるように、儀式や作法について理解して、身につけましょう!

この記事のまとめ

この記事のまとめ

神社での儀式を通して、本来の自分に気づくための段取りを書きました。

何かを望み、願う時というのは「現状からの変化」を受け入れることが必要ですよね。

もしも、習慣に従って過ごしているとしたら「現状からの変化」は起こりません。

非日常的な空間や、参拝という儀式は「現状からの変化」を起こしやすいのかもしれません。

その結果として願いが叶うのでしょうね。

非日常的な空間や儀式と、日常の行動のバランスを大事にしていきましょう。

最後に、この記事のまとめです。

・神社は神様がいる場所とされるが、神社に行ってお参りすれば願いが叶うわけではない。

・自らの努力は前提として必要。

・神社へのお参りには定められた方法(儀式)がある。儀式を正しく行わないと願いは成就の方向に向かわない。

・おみくじや絵馬は儀式を補足するツールで、共通して言えるのは「他力本願では意味がない」ということ。

・神社でのお参りというのは、願いの実現に向けた行動へのスイッチ。

・願いは明確にした上で、神社という場所の力や神様という存在を利用する。

・自分とは切り離された存在として神様を設定し、その神様にお願いするのではなく「可能性に溢れた本来の自分自身」と向き合い、願いを叶える自分を創造していく。

関連記事:
神社参拝の常識&非常識?!神様は意外と寛容です



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

このブログの内容が役に立った、と感じた方は下のランキングバナーを押していただけるとうれしいです^ー^

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

本気で人生を変えたいあなたへ

ここまでお読みいただきありがとうございました。

「願ったことが叶う」といった具合に、宇宙の法則はシンプルな因果関係で説明されているのを聞いたことがあると思います。

そうなのでしょうか?

私は病気や怪我からの回復や、再発の予防という分野で仕事をしていました。

その現場では「そんなにシンプルか?」と感じるような出来事をたくさん経験しています。

勉強していく過程で「体、心、魂」の関係性によって病気や怪我が生まれるのではないか?という考えに至り、スピリチュアル関連の書籍を読み漁っていましたが、どうも納得がいきません。

もともとが理系脳だったためか、スピリチュアル関係の人の言われている文章は理解できても、なんだか腑に落ちないというか、「違うんじゃない?」という感覚でいました。

そうは言っても、肉体と心と魂の関係の探求からは離れることができずに、思考がぐちゃぐちゃな状態でいました。

そんな時、このブログの管理者でもあるサトリさんの情報に触れる機会があり、これまで腑に落ちなかったところが解決できたのです。

サトリさんの解説によって、ずっと「科学的とは対極の世界」と思っていたスピリチュアルは、とっても現実的な在り方で存在して科学で説明できる部分が多いことに気づかせてもらいました。

そのきっかけになったのが、こちらの【サトリ式ビジネス講座】です。

スピリチュアルの考え方を、お金や仕事や実生活に落とし込んで解説されているので、イメージしやすいです。

「スピリチュアルをあちこち学びに行ってもよくわからない」という私のように迷路にはまっている人にとっては、これまで学んだ内容が繋がっていくという経験をすることになると思います。

無料でたっぷり学べるので、ぜひ登録してみてください。

この講座を通して、

  • 「スピリチュアルの本質」
  • 「自由に生きるという意味」
  • 「本当の豊かさ」

を学んで、スピリチュアルの迷路から抜け出ましょう。

サトリ式ビジネス講座